耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  



この9月にフィンランドへ行ってきました。昨年末のハーバード大学に続き、フィンランド建築博物館でのお茶室展示、ユヴァスキュラ・クラフト・ミュージアムでの実演・講演の依頼を請けたからです。そしてその仕事の合間にいくつかフィンランド建築に触れる機会を頂きました。


フィンランドは氷河に削られてできた土地で、その大部分が石の地盤の上にあるため大きな木が育ちにくく、なだらかな地形が特徴です。高緯度のため太陽が低く、日の長い夏は夜8時になってもまだ強い日差しがまぶしいほどですが、日が短くなる冬は光が足らず、アルコール依存症やうつ病になる人も多いそうです。空間に光をどのようにとりこむかということが建築テーマになるのも必然です。
自分も常に、家族が繋がる空間に光をどのように取り込むかということを考えてきたので、非常に興味深く、「建築と光」は普遍のテーマだったのだと再確認しました。


最初にいったヘルシンキの街並みです。ここは地震や台風とは無縁なので、築100年以上の建物が多く、岩山をくだいて作られた教会や薄い鉄フレームだけで支えられたガラス張りの老舗カフェなど、ユニークな建物が多くみられました。写真右のカンピ礼拝堂はモミの木の細木を積み上げた変形の円錐になっています。


セウラサーリ野外博物館(@ヘルシンキ)を案内してもらいました。
小さな島にフィンランド全土から築100~200年の伝統的なログハウスが集められていて、地域によって作り方や形状を見比べられるのが興味深いところです。
かつては主流だったログハウスも今ではほとんど使われなくなり、建てられる職人が全土で10人くらい。そのうち腕のいいビルダーは5人、さらにそのうち3人がこの博物館のスタッフという現状だそうです。


サウナも経験しました。前もって4時間燃やして準備されたサウナは、熱さ加減も抜群。暖まってきたら外へ出て湖に飛び込み…を繰り返し、今まで経験したことのない気持ちよさでした。と同時に、サウナがフィンランドにとってとても大切な文化だということも実感しました。


また今回縁あって、フィンランド屈指の木工家具メーカー「ニカリ」社長カリさんの自宅兼アトリエ(@フィスカス)を訪問させてもらいました。
フィスカスはかつて刃物メーカーの街でしたが、今は様々なジャンルの作家が移住するアーティスト村として機能しています。フィンランドには珍しく大木が育つ肥沃な土地です。カリさんの家はかつて修道院だった場所だそうで、なだらかで気持ちよく、1800年代の家や納屋を改装しながら大切に暮らしていらっしゃいました。


さて、以前耕木杜で家を建てた方から、「阿保さんの建てる家は、思考がアアルトと同じベルト地帯にあるね。」と言われたことがあってずっと心に残っていました。
今回の旅の中で主催者側の配慮によりフィンランドを代表する建築家アルバ・アアルトの作品を見る機会に恵まれたことは大変幸運だったと思います。
自分にとって偉大な存在だった彼の建築は、おこがましいのかもしれませんが、共通した自然感や価値観から建築を発生させていたということを理解し、自分の建築がぶれていなかったことを確認できました。

アカデミア書店(@ヘルシンキ)
空からの存分に自然光を取り入れられるように工夫された立体的なクリスタル・スカイライトと、やはりアアルトデザインのゴールデンベルという名の照明が特徴的な空間は、導線、室内環境などどれも素晴らしく、時代を超えた建築になっていました。


アアルトのアトリエ(@ヘルシンキ)
当時50人もの所員を抱えていたそうです。食堂がアアルトのお気に入りの場所で、ここでは仕事の話は一切しないというのがルールだったとか。
全体的に質素で心地よい空間なのですが、ワークスペースの中のアアルトがいつもここで仕事をしていたというポジション一角だけなぜか歪んで見えて、少し違和感というか、ここだけなにか不安定さを感じました。なんとなく気になってスタッフに「アアルトのお母さんはどんな人だったのですか。」と聞くと、彼は4歳で母を亡くし、父は義妹と再婚した事を教えてくれました。アアルトは生前よく母に会いたいと言っていたそうです。
両親の愛情が十分に注がれなかった幼少時代の心の傷がその一角に現れていたようで、偉大な建築家の心の中を垣間見たような気がしました。


アアルト自邸(@ヘルシンキ)
アトリエから程近くに自邸があります。地面の傾斜を利用して建てられた、開放的で気持ちのいい空間は、日本建築の影響を受けていてなんとなく和と洋がまじり合った造りでした。
あの時代にここまでできたのはすごいと思いましたが、もしもアアルトが実際に日本に来て日本の建築を見ていたら、塗り壁などの技術を取り入れてもっと豊かな建築が生まれていたかもしれません。
リビングの脇の階段を上がったところに隠れ家的書斎スペースがあり、ここが一番いい空間になっていて、アアルトもやはり気に入って作った場所だったようです。


サウナッツァロの町役場と子ども図書館(@ユヴァスキュラ)
赤レンガ造りでありがながら、全く威圧感のない開放的な空間。住宅と公共の中間でプランニングされたに違いなく、人間からかけ離れないという彼の哲学はみえるようで、構造もすばらしく質素ながら時代を越えるものになっていました。


ムーラツァロの実験住宅(@ユヴァスキュラ)
湖をボートで渡るアプローチのサマーハウスとして作られた実験用ハウスは、あっさりとシック質素倹約な造り。
天然石や焼き方が様々なタイル、レンガなど、氷点下になる冬のフィンランドの凍害に対して、ちゃんとした建築を作るための様々な実験が随所に施されていました。


日本に戻り今回の旅のことを振り返ると、数件ではありますがフィンランドの代表的な建築を見て感じたことは、全体的に造りは簡易的であることでした。フィンランドはもともと長くロシアの占領下にあり、近年まで一般の暮らしはログハウスで煙を燻しながら厳しい寒さをしのいでいたようです。周辺のヨーロッパ諸国とくらべて建築文化の熟成は浅く、アアルトも発展途上に登場した建築家のひとりだったのではないでしょうか。

それらをふまえて考えてみても、日本建築には歴史があり、土壌も素材資源も恵まれているのだから、自分たちは進化した技術を取り入れてよりいい空間を生み出せるはずです。何処にいてもどんな場面でも建築に執着して、しっかり向き合って進んでいくことが大切なのだと改めて実感しています。

耕木杜代表 阿保昭則