耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  
 
建築の技術って?



一般的に、建築の中の技術の差=大工の腕前や作る側の精度の高さの差と思われがちですが、
住み手にとって暮らしやすい構成を考えたり、
建物自体が周辺の街並みや環境にふさわしいプロポーションを考える。そういう設計的な事。
そして素材の安全性や、素材そのものを活かすという事。
これらすべてが建築に携わる者にとっては技術であり、それらを常に高めていく努力をしていかなければなりません。
また、建築とは、めまぐるしく変化する時代の中で、伝統的に守っていかなければいけないものと、
進化すべきものとを同時に持ちながら、時代を超えて常に前に進んでいく仕事です。
人が健やかに暮らしていく為に何を守って何を柔軟に取り入れるべきかを真剣に考える事も、
長く時代を超えて生き残っていける建築となる為の大事な事と意識をしてきました。
自分は大工です。建築の中の「つくる」という役割の中の大工の技術において、
特に自分達が実行している木造で人の手でつくるしっかりとした構造と素材を活かす建築では、
手道具がきちんと使える事は基本中の基本で、もっとも大切な土台となります。
これをおろそかにして先に進んでも、やがてできる事に限界がやってきます
今回は、手道具の技術の習得についてお話したいと思います。

まねることからはじめる



実は技術の習得はすごく単純で難しいことは一つもありません。
まずは 自分の頭で考えず、先輩や師匠のやることを見た通りに「まね」からはじめればいいのです。
長年その仕事に携わってきた職人のやっていることの中には大きなヒントがあるからです。
そして一日も早く体で覚えることが、近道です。
年齢でいうとやはり10代から技術の習得を志すのが好ましく。
それを過ぎると自分の生きてきた事柄や情報の中で自分の頭の中で考えてしまう癖がついてしまうので、
10代の何倍もの矯正をする時間と努力が必要になります。
元々 感性がするどい人は、人のまねをすることに拒否感を抱くこともあるかもしれません。
かつて自分がそうでした。
けれども、時には自分の感性に蓋をして、ただ「まねてみる」。
解りにくいかもしれませんがこういったいやらしさも必要です。
長く大工をしてきた職人の技術は 様々な場面での経験の積み重ねが集約したものですから、
まずはまねてやってみて、その結果を自分なりに客観的に分析し次へのヒントとする。
自分的に言えば人の経験を利用するという点でいやらしい事だと感じながら、
限られた時間の中でより早くより上を目指す為に 時には有効な方法でした。

建築は無の中からものを立ち上げ、形をのこしていく仕事です。
職人の仕事には統一した形がなく、それぞれが我流ではありますが、
その中から核となる正当な技を捉え、自分のものにしていくことが大切です。
そして、常に向上心を失わず、粘り強く同じ道を歩みながら探求して自分の技を磨き、
自分の経験以上の創造性や思考回路を開拓してゆけばいいのです。

時間とつきあう



さて、技術を習得するための最も大切なことは、ズバリ、時間とのつきあい方だと思います。
例えば家を一棟建てるのに、鉋がけという作業を例にとると一般的には、上棟前の土台や梁、柱などの
構造材を刻む作業の中で和室の見える柱等が有れば仕上げるのに1~2日、
階段や枠や造作家具などの加工材への鉋がけで1週間程度。
一棟立てるのに半年と考えると年2棟で20日。わずかこれだけです。
ということは、10日間みっちり集中して鉋かけをすれば、
鉋かけについてはなんとなく仕事に携わっていた人の半年間を10日間で一年分を20日で越せる。
更にはすごく凝縮した仕事が与えられた時間の中に身を投じていたら、
他の人の3年間分の鉋がけの技術は1ヶ月で習得することも可能なのです。

つまり、携わる時間を濃く凝縮し、技術の理論などをしっかり受け止め、
ちゃんとした方向性で向かっていければ、早い時間で技術を習得することができるのです。

鉋だけでは有りません。砥ぎに関してもそうです。
昔は3~5年かかると言われていましたが、わたしは1年で完全マスターできると思っています。
理由はいまは良い砥石(といし)が手に入りやすくもなりましたし、
砥ぐという行為は前後わずか20cmのストロークの中で起こっている事、
ただの往復運動の習得に3~5年はありえないだろうと。
難しいのは、答えが分からないところで一生懸命やっているからです。
砥ぐという事の理屈や 砥石の性質と刃物との相性。答えが明確に分かっていれば、
それに向かってまっすぐ進めばいい。迷っている時間が長いから、習得に時間がかかるのだと思います。

問題は、的を射て核心を教えられる人がいない、ということかもしれません。
これまでの徒弟制度の中では3年間習っても、ただ習っただけ。
ものごとの整然とした理論を突き詰めることなく、これはこういう決まりごとだから、
悪い意味での口伝伝承の中で惰性で仕事をしている事が大半。
こういう悪い循環で次の世代に伝えたところで、いつまでもぼやっとした知識のままです。

根本的な理屈が分かればコントロールできるようになります。
迷いがなにかを自覚できてはじめて先にすすめる。教える側も教わる側も、
まず、自分で腑に落ちる、納得するまで探求する姿勢が大事です。

そういった意味からも、早い段階で良い師匠を見つけて、濃密な時間を過ごし、
まずは一生懸命師匠をまねてみるということが、技術習得の一番の近道だと確信します。

伝える



昔は、いつか弟子や後輩に技を超されてしまうのではないかという危機感が親方にはありました。
自分の価値を高めるために技術を教えてくれない人がいたものです。
そして若手はいっそう、先人の技を盗もうと必死に見てまねをし、磨いてゆきました。

今、私は正直なところ、自分の持っているものをすべて教えても、
おそらく自分を超えられる人がいないだろうと安心しています。ですから思う存分技術を伝えることができます。
この安泰感は、楽チンでもあり、また非常にじれったくもあります。

早く自分の存在を脅かすようなすごい人材が出てきてほしいと願いながら、来月のコラムに続けたいと思います。

耕木杜代表 阿保昭則

これから 次回より手道具の技術の中から具体的に道具ごとに書いていきたいと思います。
来月は 
鉋(かんな)です。
御期待下さい。